「この世界の片隅に」という映画
今年は映画館に足を運ぶことが多いです。
「シン・ゴジラ」に始まり、
大ヒット中の「君の名は。」、そして「聲の形」。
特に「君の名は。」では、その絵の綺麗さと丁寧なストーリーに、
そして「聲の形」では、小学生の際に負った罪悪感や自己嫌悪、登場人物同士の生々しいコミュニケーションに、それぞれ目を離すことができない、ココロが揺さぶられる、満足感の高い映画でした。
そして、先日は「この世界の片隅に」を見に行ってきました。
なんでも、クラウドファンディングで制作費を集めたことで話題となっていましたが、その小口出資者たちの試写会での絶賛ぶりをSNSで見かけるたびに、とても気になってはいました。
ただ、まあ、もうしばらくしてからでいいかな、くらいに考えていたんです。
「この世界の片隅に」を見に行ったきっかけ
ぶっちゃけ、「聲の形」を見に行ったばっかりだったことと、なんでも立ち見がでちゃうくらいの人気ぶりらしいので、もう少し落ち着いてから見に行こうかな、と。
そしたら、たまたま、そう、こんなtogetterを見かけたんです。
(※ネタバレはありませんのでw)
それはこんなツイートから始まっていました。
「この世界の片隅に」の上映後、啜り泣きと拍手が響き、ゆっくりと照明が点いて皆が余韻の中言葉少なに席を立っていく中、後ろの席に座っていらした恐らく80代のご婦人が「私ね呉に住んでいたのよ、本当に呉にそっくりなの、あの頃の呉にそっくりなの」と隣の見知らぬ若者に語りかけていた。
— aerodynamik // (@aerodynamik_tw) 2016年11月23日
ご婦人はその事をどうしても直ぐに誰かに伝えたくて、見知らぬ隣の席の若者に語りかけたのだろう。「片渕監督の執念にも似た細密な時代考証」などという言葉にしてしまうと途端に魔法が消えてしまいそうな気がするが、何かを伝える、伝わるというのはきっとこういうことなのだ。
— aerodynamik // (@aerodynamik_tw) 2016年11月23日
これから始まる会話から、なんだか気持ちがほんわかするエピソードへと発展していくのでした。なお、監督である片渕須直氏も登場しています。
このまとめを見かけたことがきっかけとなり、実際に映画館にいってみないと!
と、あせって向かったわけです。
「この世界の片隅に」を見おわった感想
感想。
う~む、うまく表現できません。
いろいろな思いが胸を駆け巡る、とでもいうのか。
同じようにうまく感想を表現できないツイートを見つけたんです。
「この世界の片隅に」見に行ってきました。
涙がでました。
ただ、涙のわけがわからないのです。
笑ってるのか
怒ってるのか
切ないのか
幸せなのか
わからないのです。
おそらく全部なのでしょう。
理由をつけなくてもいいのでしょう。
全部でいいのですきっと。#この世界の片隅に— てんてんもり (@tenten_mori) 2016年11月12日
「この世界の片隅に」鑑賞して語彙力なくなったTLを見て共感している。
あの映画の唯一の欠点は褒めにくいところ。
感想を言うことに慣れてないと、「何がよかったの?」と聞かれても「うーんとね、うーんとね……全部!」と幼稚園児なみのことしか言えないのだ……#この世界の片隅に— 三島小明 (@furufuna) 2016年11月12日
戦前から戦後、舞台は広島の呉。
空襲もあったりして、当然ながら悲惨な舞台なわけですが、ただ単に哀しいとか切ないでは片付けられずも、なぜか涙だけは溢れてきます。
感情がいろんな方向から揺さぶられる、ということでしょうか。
まだ観ていらっしゃらない方へ。
タオルの持ち込みは必須ですよ。
バッグの中にはハンドタオルをどうぞ。